自己紹介の後編です。
前回の続きはこちらから。
陸上サークル
拓殖大学で1年ほどたった頃だったと思う(記憶力無さすぎて曖昧)、なんだか身体的な刺激が欲しくなってきた。
拓殖大学といえば駅伝。
当時その駅伝部に入るために頑張っていた陸上サークルの友達がいた。
同じ寮に住んでいて毎日毎日走っていた。
高校時代に幾度となく罰走を強いられてきて素走りほど嫌いなものはなかった自分からすると理解できなかったけど、頑張っている人を見ると応援したくなる。
と同時に何を勘違いしたか「自分にもできるんじゃね?」という浅はかな考えと勢いで陸上サークルに入会。
今までチームスポーツしかやってこなかったので新鮮だった。
サッカーは敵、味方、主審、副審といろんな要素が絡み合っていて強豪チームに劇的勝利したり、格下相手に負けることもある。
けど、持久系個人スポーツの陸上は練習以上のことはほぼでない。
言い方を変えれば、練習すればやった分だけ明確に結果に現れる。(怪我とかメンタルとか一概には言えないけど)
走ればその分身体が変わってタイムも伸びて徐々に陸上というか走ることそのものにハマっていった。
山に登る
学生のノリで日本人だし人生に1回は富士山に登っておきたいという話になった。
けどいきなり富士山はキツいから高尾山から徐々に慣らしていこうということで山に登り始める。
次に登ったのが八ヶ岳。どこが徐々なんだろうか。
快晴、山小屋のご飯、夕焼け、満点の星空、ご来光、全部完璧だった。
「山ヤバい」、ボキャブラリーのボの字もない感想を終始言っていた気がする。
山に行くようになってから本屋で山関係の雑誌をみるようになって、近所にトレランの入門コースがあると知った。
ランニングの練習ついでに見に行ったらハマってしまった。
同じところをグルグル回るより刺激があって性に合っていたらしい。
スカイランニングとの出会い
トレランとか色んな大会に出た。
最初はガーラ湯沢、越後くびきの100k、美ヶ原、ハセツネ、UTMF、などなど。
ロングレースに出ていると周りに同世代がほぼいない。エントリーにお金もけっこうかかる。
そんなふうに思ってたところにスカイランニングっていうのがあるとレースで知り合った方が教えてくれた。
最初に出たのは、オールシーズン大変お世話になっているsalomonの星野和昭さんが主催する尾瀬岩鞍バーティカルキロメーター。(3年の秋くらい?)
登りきってゴールっていうのがシンプルで楽しくかった。
正直、走るっていうのはいまでもあまり好きではないけど山頂に向かって登るっていうマインドが好きだった。
同世代の仲間もできてすっかりスカイランニングの方にシフトしていった。
SKIMOとの出会い
3年の冬、新潟出身なのにスキーもスノボもしたことがないのはどうかと思い、やることに。
周りの友達はみんなスノボだったけど、左右対称の動きのほうがランニングには良いかなとただそれだけの理由でスキーにした。
周りに教えてくれる人はいなかったので、リフト乗りながら見るYouTubeが先生。基礎動画を見ずにフリースタイルの動画を見てたせいなのか変なフォームがいまだに抜けない。
そんな感じで1シーズンだけレンタルでスキーをしてパラレルターンもどきで上級者コースも滑れるようになったころ思った。
「なんか物足りない、競い合いたい」
で、またまた本屋でスキーの雑誌を読み漁っていたところ、1人の男性がスキーを背負ってものすごい形相で雪山を登ってる写真が表紙の雑誌を見つけた。(これまた大変お世話になっている松澤幸靖さんである)
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784408062815
これだっ!!
4年の冬、富士吉田にあるトレイルランテストセンターで体験会に参加。
初めてシールをつけて雪山を登ったときのあの感覚は言葉には表せないくらいすごかった。
即道具を購入。
色んな方に助けていただきながら山とか大会に連れて行ってもらったりと感謝感謝です。
Uターン
就職を機に新潟に帰った。
新潟でスカイランニングを広めたいとの思いで代表の中西さんと「NiigataSkyClub」を立ち上げた。
より競技に集中したいと思って新潟県社会人スポーツ推進協議会が実施していた社会人とアスリートをマッチングするイベントを通して今の会社(株式会社シアンス)に入社した。
ゴリゴリの文系だったけど毎日プログラムを書いてるので人生何があるかわからない。
そんな感じで夏はスカイランニング、冬はSKIMOの生活が始まって現在に至る。
長くなりましたが自己紹介はこんなところで。
では。
P.S.
ブログの書き出しって難しくてちょっと悩む。
「ぶんぶんはろーYouTube」的なやつが欲しいので募集します笑