自己紹介(前編) – 点の取れない岡崎慎司 –

どうもエンケンです。
ブログちょくちょく更新していきたいと思います。今回は自己紹介をしていきます。

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ざっくり略歴

1994年6月9日生まれ
新潟県新潟市北区の松浜出身
一卵性の双子(兄)←同じ顔の片割れがいます。たまに入れ替わってるかもしれません
高校卒業までサッカーひと筋
拓殖大学出身
新潟市のIT企業勤務
スカイランニングとSKIMOに打ち込んでいる

サッカー少年時代

小学3年生からサッカーを始めた。
中学時代は新潟ハマーレFCというクラブチームに所属。
双子のテレパシーで適当に走り出せばパスが来たし適当にパス出せばそこにいた。通じないときはキレる。
同じチームにいると嫌でも負けず嫌いになってて、いまでも競い合う競技を続けているのはここが原点だった気がする。
実力は新潟市東区トレセン止まり。

高校はサッカーの強かった高志高校。(僕らの代を最後に中高一貫の進学校になった)
部活に入るつもりはなかったけど、中学時代のコーチが勝手に顧問に連絡して練習に行かされ強制入部。
テニス部にでも入って悠々自適な生活を送るという理想は崩れ、草むしりと血反吐を吐くようなトレーニングの日々。
1年生の時の県総体2位が最高成績(ベンチ)で3年間全国に行くことはできなかった。
3年になるとキャプテンに任命。
キャプテンなのに怪我でほとんどピッチに立てなかったストレスとヤンチャな部員たちのおかげでちょっとハゲた。(比喩ではない)
円ケン脱毛症とイジられたのは言うまでもない。←思い返すとジワジワくる

憧れたサッカー選手はアーセナルで活躍したフランス代表のティエリ・アンリ。大学時代にはロンドンにあるエミレーツスタジアムにアーセナルの試合も見に行ったくらい。
他にはジダン、ロナウジーニョ、中村俊輔も好きだった。
頭の中のイメージではアンリなんだけど、実際には点の取れない岡崎慎司みたいな感じになってしまった。
ウイイレにそんなやついたら絶対使わないだろう。
転んでも立ち上がる精神は大事。

冬の選手権で全国にはいけなかったけどサッカーはやり切った。
自分にも部員たちにも怒ってばかりでキツかったけど総じて楽しかった。
複数人で1つの目標に向かって情熱を注ぐっていう経験は大人になってからはなかなかできない。

拓殖大学

海外で働いてみたいというざっくりした理由で拓殖大学に進んだ。
毎日ボールを追っていた生活から一転、大学ではサークルには入らずガリガリ勉強をしていた。
ちなみに拓殖大学は文京区と八王子にキャンパス(最寄り駅は高尾)があって八王子の方に通っていたんだけど、
八王子キャンパスは東京ドーム23個分くらいの広さがあって校舎の裏は山。
キャンパス内にイノシシが歩いてたりした。
上京したのに東京にいる感じはあまりしなかった。けど、山にハマるなんて想像もしなかった。

もったいぶるほど大した内容でもないけど長くなってきたので後編につづく。

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